
「会社の借入のために、社長個人がハンコを押すのは当たり前」――そんな常識が、いま大きく変わろうとしています。2026年(令和8年)5月25日、「企業価値担保権」という新しい担保制度が施行されました(事業性融資の推進等に関する法律・令和6年法律第52号)。不動産などの「モノ」や経営者個人の保証という「ヒト」ではなく、技術力・顧客基盤・のれんを含む「事業そのもの」を担保にお金を借りられる制度で、この担保権を設定した融資では、経営者個人の保証の履行請求が原則として禁止されます。この記事では、金沢のいきいき司法書士事務所が、企業価値担保権のしくみ、経営者保証がどう変わるのか、そして意外と知られていない「商業登記」との深い関係まで、図表でわかりやすく解説します。
企業価値担保権とは?――「会社まるごと」を担保にする新しい制度
企業価値担保権は、2024年(令和6年)6月14日に公布された「事業性融資の推進等に関する法律」(事業性融資推進法)で創設され、2026年(令和8年)5月25日に施行された新しい担保権です。まずは制度の骨格を3つのポイントで押さえましょう。
① 会社の総財産が担保――不動産・機械・在庫だけでなく、特許などの知的財産、のれん、顧客基盤、将来取得する財産まで、事業を構成する一切が対象。一部の財産だけを選んで担保にすることはできません
② 信託のしくみを使う――会社(債務者)を委託者、免許を受けた「企業価値担保権信託会社」を受託者とする信託契約によって設定されます
③ 経営者保証の履行請求が原則禁止――この担保権が設定された借入について経営者が保証していても、その保証の履行を求めることは原則としてできません(同法12条1項)
従来の融資では、金融機関は返済を確実にするため「モノ」(不動産への抵当権など)と「ヒト」(経営者の連帯保証)を担保に取るのが一般的でした。しかし、工場や土地を持たないIT企業やスタートアップ、技術力はあるが資産の乏しい町工場は、この慣行のもとでは十分な融資を受けにくいという課題がありました。また、経営者個人が会社の借金を丸ごと背負う個人保証は、「失敗したら自宅も失う」という恐怖から、思い切った設備投資や、後継者への事業承継をためらわせる大きな原因になってきました。企業価値担保権は、金融機関に「不動産や保証人ではなく、事業の将来性を見て貸す」ことを促すための制度なのです。
経営者保証の見直しは、ここまで進んできた
経営者保証への依存を減らす取り組みは、実は10年以上前から段階的に進められてきました。企業価値担保権は、その流れの到達点のひとつと位置づけられます。
2013年(平成25年)12月には、全国銀行協会と日本商工会議所が「経営者保証に関するガイドライン」を公表し(2014年2月適用開始)、一定の条件を満たす会社については経営者保証に依存しない融資を検討することが金融機関に求められるようになりました。ただしこれは法的拘束力のない自主ルールで、保証を外すかどうかの最終判断は金融機関に委ねられています。2022年(令和4年)12月には金融庁・財務省・中小企業庁が連携した「経営者保証改革プログラム」が公表され、保証に頼らない融資慣行づくりが一段と加速しました。そして2026年、ついに「保証の履行請求を法律で原則禁止する」という踏み込んだしくみを持つ企業価値担保権が動き出したのです。
従来の融資と何が違う?比較表でチェック
従来型の「不動産担保+経営者保証」による融資と、企業価値担保権を使った融資の違いを表にまとめました。
| 項目 | 従来型融資 | 企業価値担保権型融資 |
|---|---|---|
| 担保の対象 | 個別の不動産・設備など(抵当権・根抵当権等) | 会社の総財産(無形資産・将来財産を含む事業全体) |
| 経営者の個人保証 | 求められることが多い | 保証していても履行請求は原則禁止(法12条1項) |
| 金融機関の審査の視点 | 担保資産の価値・保証人の資力 | 事業計画・将来キャッシュフローなど事業性 |
| 設定のしかた | 金融機関と直接、抵当権設定契約など | 企業価値担保権信託会社との信託契約 |
| 公示(登記) | 不動産登記簿に登記 | 本店所在地の商業登記簿に登記(登記が効力発生要件) |
| 万一のときの回収 | 不動産の競売などで個別に換価 | 裁判所選任の管財人が事業を継続しながら一体で事業譲渡 |
注目していただきたいのが「公示」の欄です。抵当権が不動産登記簿に載るのに対し、企業価値担保権は会社の商業登記簿への登記によって効力が生じます(同法15条)。つまり、担保に入っているかどうかは、その会社の登記事項証明書を取れば誰でも確認できるようになります。抵当権など他の担保権との優先順位も、対抗要件を備えた先後で決まります(同法18条)。取引先の与信管理の場面でも、商業登記のチェックポイントがひとつ増えたことになりますね。
利用の流れ――信託契約から商業登記まで
実際に企業価値担保権を使って融資を受ける場合の、標準的な流れを見てみましょう。
事業計画の合理性や将来のキャッシュフローの見通しを、資料に基づいて金融機関に説明します。「事業の中身で借りる」制度なので、ここが最大の山場です。
取締役会設置会社では、定款に別段の定めがない限り、企業価値担保権の設定は取締役会の決議事項とされています(法10条2号)。議事録の整備も忘れずに。
会社を委託者、免許を受けた企業価値担保権信託会社を受託者として信託契約を結びます。
本店所在地の商業登記簿に企業価値担保権の登記をすることで、担保権の効力が発生します(法15条)。
担保権設定後も、会社は通常の事業活動の範囲内であれば財産を自由に使用・収益・処分できます(法20条1項)。ただし重要な財産の処分など通常の範囲を超える行為には担保権者側の同意が必要です(同条2項)。
「担保に入れたら会社の財産が使えなくなるのでは」と心配される方もいますが、日常の仕入れや販売、通常の設備更新などはこれまでどおり行えます。逆にいえば、本社不動産の売却のような大きな取引には同意が必要になるため、将来の資産の動かし方まで見据えて利用を判断することが大切です。
司法書士はどう関与する?――「登記」と「書類整備」のパートナー
企業価値担保権は金融機関と信託会社が主役の制度に見えますが、実は登記の専門家である司法書士が関わる場面が多い制度です。具体的な関与ポイントを整理します。
① 設定登記のサポート――企業価値担保権は商業登記が効力発生要件(法15条)。商業登記の申請代理は司法書士の中心業務であり、登記の専門家として設定手続を支えます(施行間もないため、申請実務の細部は運用が固まりつつある段階です)
② 前提となる会社登記の総点検――役員変更登記のし忘れ(登記懈怠)、本店・商号の現況とのズレがあると手続が進みません。融資相談の前に登記簿をきれいに整えておくことが第一歩です
③ 取締役会議事録など添付書類の作成支援――設定には原則として取締役会決議が必要(法10条2号)。決議の内容や議事録の作り方を、登記を見据えて整備します
さらに、実務ではその周辺にも司法書士の出番があります。まず既存担保との調整です。会社所有の不動産に古い抵当権・根抵当権が残っていれば、不動産登記簿を調査し、完済済みのものは抹消登記を行って権利関係を整理しておくことで、金融機関側の評価もスムーズになります。次に取引先の与信チェック。企業価値担保権は登記事項証明書で確認できるため、「取引先の登記簿に見慣れない担保権の記載があるが大丈夫か」といったご相談への対応も想定されます。そして事業承継との組み合わせ。代表者交代の役員変更登記や株式の承継手続と、保証に頼らない資金調達の検討は、実際には一体で進むことが多い場面です。当事務所では司法書士に加え行政書士・宅建士・FPの視点から、登記・許認可・不動産・資金計画をひとつの窓口でお手伝いできます。
もし返済できなくなったら――実行手続と「事業を壊さない」しくみ
従来の抵当権では、返済が滞ると不動産が競売にかけられ、事業の継続が難しくなるのが通常でした。企業価値担保権の実行手続は、発想が大きく異なります。
返済不能となった場合、担保権者が裁判所に実行手続開始を申し立て、裁判所が事業の経営と財産の管理処分を担う管財人を選任します。管財人は、事業の継続に必要な仕入先への商取引債権や従業員の労働債権などを優先的に随時弁済しながら事業を続け、裁判所の許可を得て、スポンサーへ事業を解体せず一体のまま事業譲渡します。譲渡対価から金融機関が融資を回収しますが、対価の一部は一般債権者のためにも留保されるしくみです。事業と雇用をできる限り生かしたまま出口を探す、というのがこの制度の思想です。もっとも、実行に至れば経営権は管財人に移り、会社の姿は大きく変わります。「保証がないから気楽」ではなく、事業そのものを差し出す重い担保であることは忘れてはいけません。
利用前に押さえたい3つの注意点
履行請求が原則禁止されるのは、企業価値担保権が設定された融資に係る保証です。いま現在ある借入の個人保証は、この制度の施行によって当然に外れるものではありません。既存保証の見直しは、経営者保証ガイドラインに基づく金融機関との交渉が引き続き基本になります。
法律上、保証の履行請求の禁止は「原則」であり、一定の例外が設けられています。また、そもそも企業価値担保権を使うかどうか、どの会社に使うかは金融機関側の判断です。制度が始まったばかりの現在は、対応できる金融機関・信託会社の体制も順次整っていく段階と想定されています。
会社の全財産が担保になるため、後から特定の不動産だけを別の借入の担保に出すといった資金調達の自由度には影響が出ます。また、事業性を評価してもらう以上、事業計画や業績に関する継続的な情報開示・モニタリングへの対応が求められることが想定されます。経理体制の整備はセットで考えましょう。
金沢の中小企業での活用イメージ
たとえば、金沢市内で先代から続く食品製造業を営むA社。工場は借地で目立った不動産はないものの、県外の百貨店にも卸す安定した販路と自社ブランドが強みです。後継者候補の長男は「親父の代の借金の連帯保証を引き継ぐのは怖い」と承継に二の足を踏んでいました。こうしたケースで、承継を機に借換えと合わせて企業価値担保権型の融資を活用できれば、後継者が個人保証を負わずに事業を引き継ぐ道が開けます。石川県内でも事業承継は大きな課題ですから、北陸の金融機関の今後の取り組みが注目されます。当事務所でも、事業承継や会社の登記のご相談の中で、この新しい選択肢を視野に入れたご案内をしています。
よくある質問
Q1. 個人事業主でも企業価値担保権を使えますか?
A. 使えません。企業価値担保権は会社(株式会社など)の総財産を対象とする制度で、個人事業主は利用できません。個人事業の方は、法人成りをしたうえで将来の選択肢とするか、経営者保証ガイドラインの活用を検討することになります。
Q2. 企業価値担保権を設定すると、抵当権はもう付けられないのですか?
A. 制度上、他の担保権が排除されるわけではなく、抵当権などとの優先順位は対抗要件を備えた先後関係で決まります(法18条)。ただし、総財産が担保になっている以上、追加の担保提供は担保権者の意向や契約内容の影響を受けるため、資金調達全体の設計を踏まえた検討が必要です。
Q3. 取引先が企業価値担保権を設定しているか確認できますか?
A. できます。企業価値担保権は本店所在地の商業登記簿に登記され、これが効力発生の要件です(法15条)。その会社の登記事項証明書を法務局で取得すれば、設定の有無を確認できます。与信管理の新しいチェック項目といえます。
Q4. 設定すれば必ず経営者保証なしで借りられますか?
A. 企業価値担保権付き融資では保証の履行請求が原則禁止されますが(法12条1項)、一定の例外があるほか、そもそもこの制度で融資するかどうかは金融機関の審査次第です。事業計画をきちんと説明できる体制づくりが前提になります。
Q5. 費用はどのくらいかかりますか?
A. 信託会社への信託報酬、商業登記に関する費用(登録免許税・専門家報酬)などが想定されますが、施行間もない制度のため、実務上の水準はこれから固まっていく段階です。個別のケースについては、金融機関・専門家に事前にご確認ください。
まとめ――今日からできる3つのステップ
企業価値担保権は、2026年(令和8年)5月25日に施行された「事業まるごと」を担保にする新制度で、設定された融資については経営者個人の保証の履行請求が原則禁止されます。不動産に乏しくても事業に力のある会社、そして個人保証が壁になっている事業承継にとって、大きな選択肢となり得ます。一方で、総財産を差し出す重い担保であること、既存の保証が自動的に消えるわけではないことも、正しく理解しておきたいポイントです。
① 自社の借入と経営者保証の現状を一覧にして棚卸しする
② 事業計画・決算資料など「事業性を説明できる材料」を整える
③ メインバンクや専門家に、経営者保証の見直し・新制度活用の可能性を相談する
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